父が他界して、その時に感じたことは、やっと終わった、ということです。
それが何なのか、、、。
実は、父は私が大学4年の春に再婚しました。
その再婚相手と私の関係が良くなかったのです。
被害妄想のとても強い方だったのと、自己主張が強く自分の正しさを主張する方でした。
自分の気に入らないことがあると、私がやってもいないことや思ってもいないことを、
色々な理由を付けては私が悪いと父に告げ口してきました。
最初は説明してそれを父も信じてくれていましたが、
そんなことが続くと、説明しなければいけないことや、
そもそも一緒に同居していくことが苦痛になりました。
自分の家でリラックスできない生活は、もはや家ではありませんでした。
家に父や義母が寝静まるまで帰らないようにして、寝に帰るだけになりました。
そんな生活が続くわけありません。
激痩せしてしまい、もうこれ以上は実家にいることが困難になりました。
家を出ることになり、一人暮らしになりました。
それからは、実家に気軽に帰ることすらできなくなりましたので、
父とも会う回数はどんどん減っていき、たまに父と約束して外食するくらいになりました。
私が結婚する時も義母とのトラブルは絶えず、
父とも話し合いながら、何とか結婚式をすることはできましたが、
結婚式当日は酷く疲れた花嫁で、振り返りたくないことだらけでした。
子供が産まれても、父が孫にプレゼントを贈ることもよく思わない義母でしたから、
父の孫への気持ちと、義母の嫉妬の中で葛藤する日々でした。
父からこっそり電話をもらい、こっそりプレゼントをもらうのが恒例になっていました。
そんな父が高齢になり、少し介護が必要になってきた頃、義母が倒れました。
私は介護福祉士だったので、義母が回復するまでの間父の世話をすることになり、
私の家で父が過ごすことになりました。
やっと父と親子水入らずの時間を過ごせると思って喜んでいたのも束の間、
父からとんでもない言葉が出てきました。
それは義母から聞かされている私への憎しみの言葉でした。
25年前に私にこんなことされた、あんなことされた、という義母の被害妄想の数々。
父はなんであの時そんなことしたんだ、と私を責めるのです。
被害妄想やら、誇張した表現やら、色々なことはありましたが、
私は全て父に話して解決していると思っていたし、
ずっと離れて暮らしていましたので、すっかり忘れていたことだらけでした。
なので認知症を患っている父からの言葉に、
ショックというのか、唖然というのか、怒りなのか、表現できませんが、
頭が真っ白になり涙したのを覚えています。
義母は倒れた病気のせいなのか、元々の性格かは分かりませんが、
言動も行動も攻撃的になり、電話で話してもまともに話せない状態が続きました。
相変わらず、私達三姉妹の悪口の数々を父に吹き込んでいました。
人って変わらないとつくづく感じ、離れて暮らすことにしてよかったと思いました。
そして、義母が退院して父との実家に戻り休養生活をすることになりました。
今後の生活をどうしたらいいのか、私も小学生の子供三人を抱えた状態でしたので、
話し合いをするために義母に会いに行くことにしました。
ですが、包丁は振り回すは、引っ掻かれるしで、とても話せる状態になく、
その後の父のことを全て姉達と三人で手配することになりました。
姉達と電話で相談しながら何とか施設に入居することになりましたが、
義母がまた色々と言い出し、その後施設を2回も変えることになりました。
施設を変えることも、施設や病院の相談員に入っていただいたり、
たくさんの方々に第三者として入ってもらわないとできなかったのです。
義母の被害妄想で私達三姉妹はおかしな人になっているので、
それを撤回して話をして、信じてもらい、話を進め、解決する、とのことが、
本当に大変でした。
最後の施設はとても施設の方々が良くしてくださって、看取りまでやってくれましたので、
最後に良い施設に入れてあげることができて、姉達と喜んでいました。
父が息を引き取った時に、これで義母との関係ももう終わると思い、
本当にホッとして、長年の疲れから解放されたような感覚になりました。
生き方は自分で選ぶもので、義母は義母なりに幸せになれる方法を選んだのだと思います。
義母の人生はまだ続いていますが、今どう感じているかは分かりようもありません。
父とは、他界してから繋がっている感覚があり、
生きていた頃より穏やかになり、私達三姉妹を見守ってくれているように感じます。
私は私の人生があります。自分の人生を今後どうしていくのか、
人の役に立つ仕事をしながら、穏やかに愛する家族と暮らしていきたいと思っています。
長文ですが読んでいただきありがとうございました。